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三津五郎が塩原太助の墓所を訪ねました~国立劇場10月歌舞伎公演『塩原多助一代記』
8月31日(金)、 国立劇場10月歌舞伎公演『塩原多助一代記』で塩原多助と道連れ小平の善悪二役を演じる坂東三津五郎が、萬年山東陽寺(足立区東伊興4-4-1)にある塩原太助のお墓参りを行い、舞台への思いを語りました。
原作の「塩原多助一代記」は名人三遊亭円朝が、実在の炭商人・塩原太助の生涯を綿密に取材して口演した人情噺。歌舞伎では、三世河竹新七による脚色で、明治25(1892)年1月東京・歌舞伎座にて、五代目尾上菊五郎によって初演されました。
愛馬 青との別れの場面のほか、実の両親との対面や、振袖を断ち切って倹約を誓うお花との件など、感動的な名場面の数々が胸を打つ楽しみな舞台です。
【坂東三津五郎】
私も幼い頃に「塩原多助」という名前を何度も耳にしていましたし、「青の別れ」という講談やお芝居があるというのも知っていましたが、残念ながら観たことはなく、最後に歌舞伎で上演されたのも昭和35年、当時はまだ4歳でしたから記憶にも残っておりません。
今回、自分が勤めるにあたり全編に目を通してみますと、改めて塩原多助は、なんて近代的でユニークな人なんだと感じています。困難にも負けず、一生懸命に働いて一代で財を成した訳ですが、真面目に働いていただけでなく、結構お金も使ってしまう・・・「お金は貯め込んでいてはダメなんだよ」「お金が働いて帰ってくるからまた増えるんだ」なんて、非常に近代的な理論を持っている人でもあります。
戦前の"真面目に働いて偉くなりましたと"いうだけの物語では今の時代にどうなんだろうとも思いますが、多助にはそれだけではない魅力がありますし、お芝居自体有名なのに、上演される機会が少ない作品にもう一度命を吹き込む、というのも大事なことではないかなと思っています。
円朝さんの落語を元にした作品ですから、とても親しみやすいし、因縁などもとても上手に使われています。それと・・・いろいろなものを読んでいたら、明治25年この作品を上演した際、大変な大入りで座元が相当儲かったようで、その時にむかし世話になったからという理由で、困窮していた"昔の大プロデューサー"守田勘弥に、座元がお金を用立ててくれたそうなんです。だから家としても非常に恩義のある作品・・・と思っています(笑)。
また、橋之助さんがお母さん役というのも初めてです。しかも悪い親子(笑)。直前の場面では、善人の友達同士を演じているのですが、次の場面では滅茶苦茶に悪いお母さんと息子に役が変わって(笑)。その辺も楽しんでいただけるのではと思っています。
「塩原多助」 知ってる、「青の別れ」 聞いたことがある、でも見たことがないという大勢の方に、ぜひ劇場に来ていただきたいと思っています。そして、全身全霊、自分の肉体を塩原多助と一体化して良い芝居を作り、同時にひとりの男の人生が見えてくるような芝居にしたいと思っています。