菊之助、七之助が意気込みを披露~新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』
12月新橋演舞場にて、新作歌舞伎『 風の谷のナウシカ』が上演されます。
1984年にアニメ映画化され、日本のみならず世界中で愛されている宮崎駿の名作漫画全7巻の壮大な物語を昼の部・夜の部通しで上演します。宮崎駿作品が歌舞伎舞台化されるのは初であり、スタジオジブリの関連作品歌舞伎舞台化も初となります。
公演に先立ち、ナウシカを演じる尾上菊之助、クシャナを演じる中村七之助ら、関係者が意気込みを披露しました。
先日、歌舞伎座で『寺子屋』を拝見しましたが、菊之助さんが演じられた千代が大変すばらしく、まさに絶品で、“歌舞伎とはこういうものだ”と改めて感じ入りました。と思うと同時に、その話の内容が『風の谷のナウシカ』と繋がっているのかなと。近代合理主義、現代の考え方ではわかりにくい話ではあるけれど、「ナウシカ」の中にもそういうものがある、そんなことも思い観劇しました。
「ナウシカ」は宮崎にとって一番大事な作品、精魂込めて、自分の持っているものを全てぶつけたものです。ハリウッドでの実写映画化などいろいろな話を全部断ってきた経緯もあったので、歌舞伎での上演も宮崎は嫌がるのでは無いかと思っておりましたが・・・今回彼は「やろうよ」と。その彼が歌舞伎にするにあたり出した条件は「タイトルを変えないでほしい」と「記者会見その他、私は協力しません(笑)」。
私の母も歌舞伎の大ファンでした。こうして係わることができて楽しい仕事になっています。良い作品を創ってください。
【G2(演出)】
映画『風の谷のナウシカ』が上演されたのが1984年。思い起こせば、私が大学を出てエンターテイメント業界の末席に名を連ねた時期で、当時大変な衝撃を受けたことをよく憶えています。ずっと「ナウシカ」の世界観に勝てるようなものを作りたいという思いで35年やって参りましたが、まだ作れておりません。今回その「ナウシカ」の歌舞伎版、しかも昼夜にわたる通しでの上演で演出をすることになり、光栄であり、非常に責任を感じております。
原作は濃密な全7巻、アニメの古典とも言える作品です。今回はなるべく古典歌舞伎の手法を使います。古典と古典が融合した中でどういう反応が起きるかを、しっかり皆様にお届けするつもりです。
原作には、空を飛んだり巨大生物が出てきたりと、様々なスペクタクルなシーンがありますが、その辺は今風の手法ではなく、いかにも歌舞伎的な手法でケレンをしっかり出していくつもりです。江戸時代からの歌舞伎の様々な手法を駆使して、漫画・アニメの世界に肉薄できるようにしたいと思います。
【尾上菊之助】
この度ナウシカを勤めさせていただきます。5年ぐらい前から準備を重ね、この記者発表の日を迎えられましたことに武者震いをしています。ジブリの作品に寄り添い、歌舞伎・ジブリどちらのファンの方にも納得していただける作品にしようと、鋭意制作中です。
宮崎さんと鈴木さんは「ナウシカ」を制作するにあたり、「1日に1枚しか描けないような」クオリティーの高い作品を創っていこうという思いを持って出発したそうです。それほどスタジオジブリが大事にしているものをお預けいただいたという責任は非常に感じています。ラグビーワールドカップ日本代表のように「One for all,All for one(ワンフォーオール、オールフォーワン)」。一場面一場面しっかりと、一座力をあわせて創り上げていくつもりです。
初めて「ナウシカ」をTVで観て、絵の力、ナウシカという女性の持つ力強さ・可憐さに惹かれました。さらに原作を読み、その深いテーマ性、壮大さの魅力にますます惹かれていきました。
今回『風の谷のナウシカ』を選んだ理由の一つが、作品の持つ普遍的なテーマ性です。歌舞伎でも古典として残っていく作品には、現代にも通じるような普遍的なテーマが根底に流れています。
バブル経済に突入していく1980年代に、ユートピアではなくディストピアを描き、日本人はこれで良いのか?という思いを込めて描かれた「ナウシカ」。戦争、エネルギー、環境、核、遺伝子など作品に描かれている様々な問題は、今の方が身近に感じるのではないでしょうか。そうした普遍的で壮大なテーマ、今までの歌舞伎では描かれたことのないテーマが古典歌舞伎となった時にどんな化学反応が起きるのか、私も楽しみです。
【中村七之助】
菊之助のお兄様から「力を貸して欲しい」と言われたとき、『風の谷のナウシカ』を上演するんだ!と純粋に驚きました。兄(中村勘九郎)はナウシカが初恋の人で、私がジブリ作品の『かぐや姫の物語』のため、声の収録でスタジオに伺った時にも、兄はついてきて大喜びしておりました(笑)。
そして時を経て、この「ナウシカ」を私たちのホームである歌舞伎で上演するということを嬉しく思いますし、皆様の思いを心に、全員が素晴らしい作品にしないといけないと肝に銘じて励んでいきたいと思います。
クシャナは格好良く、悪人として登場しますが、実は父親を憎んでいるがどこかで愛している、自分の道を進まなくてはいけなくなってしまった、かわいそうで女性的な人ではないでしょうか。力強さだけではない“心の揺れ”をクシャナが出すことでより深くなるでしょうし、なぜそんな行動をしないと生きていけなくなってしまったのかを考えて、役作りに励みたいと思っています。